近年、顧客や取引先からの不当な悪質クレームや暴言、過剰な要求といった「カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)」が深刻な社会問題となっています。従業員が精神的な不調をきたして休職や離職に追い込まれたり、現場が疲弊して企業全体の生産性が低下したりするケースも少なくありません。
こうした背景を受け、改正労働施策総合推進法が公布され、2026年10月1日よりすべての事業主に対し「カスハラ対策(雇用管理上の措置)」が義務化されることとなりました。
これまで「接客対応の延長線上」や「従業員個人の忍耐」に委ねられがちだったカスタマーハラスメントですが、今後は企業が組織として全社的に対応することが法律上の義務となります。
本コラムでは、大神人事労務事務所が、法改正のポイントから厚生労働省が示す判断基準、そして企業が施行までに整備すべき具体的な社内体制まで、実務の視点から分かりやすく解説します。
1. なぜ今、カスハラ対策の義務化が必要なのか?
(1)法改正の背景と施行時期
政府は、2025年6月に改正労働施策総合推進法を成立・公布させました。すでにパワーハラスメント防止措置が義務付けられている同法の中に、新たにカスハラ防止措置が組み込まれた形です。
- 法改正の公布:2025年6月11日
- 指針の策定:2026年2月26日
- 義務化の施行日:2026年10月1日
(2)中小企業にも経過措置(猶予期間)はありません
パワハラ防止法が導入された際は、中小企業に対して一定の猶予期間(努力義務期間)が設けられていました。しかし、今回のカスハラ対策義務化においては中小企業向けの経過措置はありません。
2026年10月1日の施行日を迎えた時点で、従業員を1人でも雇用している事業主(個人事業主や医療法人、NPO等を含む)は、規模に関わらず一律で大企業と同水準の措置を講じる必要があります。
2. カスハラ(カスタマーハラスメント)の定義と判断軸
正当な苦情(改善に繋がる適切なクレーム)と、悪質なカスハラをどのように線引きすべきでしょうか。厚生労働省の指針では、以下の3つの要素をすべて満たすものをカスハラと定義しています。
カスハラを構成する3要素
- 顧客等からの言動であること
実際の顧客だけでなく、取引先、施設利用者、潜在顧客なども含まれます。 - 社会通念上相当な範囲を超えた言動であること
要求内容自体に合理性がないか、あるいは要求を伝えるための手段・態様が不相当である場合を指します。 - 労働者の就業環境が害されること
従業員が身体的・精神的に苦痛を受け、業務に支障が生じる状況です。
【判断のポイント:クレームとカスハラの違い】
顧客の不満・指摘に正当な理由がある「苦情(クレーム)」は、自社のサービス向上に寄与する重要な声です。一方で、以下のような要素が含まれる場合は「カスハラ」に該当します。
- 要求内容が不相当:金銭の不当要求、サービス範囲を超えた無償対応の強要、商品に関係のない謝罪要請など
- 手段・態様が不相当:暴言・脅迫・大声での威嚇、長時間の電話拘束、土下座の強要、SNSへの動画・写真の無断投稿など
要求内容に正当性があっても、過度の暴言や長時間拘束が伴う場合は「手段が不相当」としてカスハラに該当します。
3. 企業に義務付けられる「雇用管理上の措置」
2026年10月1日以降、企業は具体的に何を行わなければならないのでしょうか。厚生労働省の指針に基づき、企業が講ずべき主な措置は以下の5つに整理されます。
【カスハラ対策・5つの柱】
┌─────────────────────────────────────────────────────────┐
│ 1. 事業主の方針の明確化と周知・啓発 │
│ – カスハラに毅然と対応する姿勢の表明・社内外への発信 │
├─────────────────────────────────────────────────────────┤
│ 2. 相談体制の整備 │
│ – 社内窓口の設置、担当者の配置・マニュアル化 │
├─────────────────────────────────────────────────────────┤
│ 3. 事案発生時の迅速・適切な対応 │
│ – 複数名対応、証拠保全、被害者のメンタルケア 、再発防止 │
├─────────────────────────────────────────────────────────┤
│ 4. 特に悪質な事案への対処方針の事前策定 │
│ – 毅然とした対応(打ち切り・警察や弁護士との連携) │
├─────────────────────────────────────────────────────────┤
│ 5. プライバシー保護と不利益取扱いの禁止 │
│ – 相談者・協力者の保護、不利益処分の防止 │
└─────────────────────────────────────────────────────────┘
| 義務化される措置項目 | 企業に求められる具体的な実務対応 |
| ① 方針の明確化と周知 | 経営トップによる「カスハラ根絶・従業員保護」の基本方針表明。ホームページや店頭でのポリシー提示、就業規則への明示。 |
| ② 相談体制の整備 | カスハラ専用(または共通)の相談窓口の明確化。相談担当者向けの対応ルール策定や研修実施。 |
| ③ 迅速・適切な事後対応 | 事実関係の正確な把握(通話録音、防犯カメラ、ログなどの確認)。被害を受けた従業員への配置換やメンタルケアの実施。再発防止。 |
| ④ 悪質事案への対処方針 | 「これ以上の対応はお断りします」と打ち切るラインの策定。弁護士・警察との連携フローの構築。 |
| ⑤ プライバシー保護と不利益取扱いの禁止 | 相談したことや対応を行ったことを理由に、人事評価を下げたりペナルティを与えたりしない旨の就業規則化。 |
4. 対策を放置した場合の「経営リスク」
「直接の罰則(刑事罰)がないなら、後回しでも大丈夫ではないか?」と考えるのは大変危険です。カスハラ対策を怠った場合、企業は以下のような大きな経営リスクを抱えることになります。
(1)行政指導・企業名の公表
法律に基づく措置義務を果たしていない場合、厚生労働省(都道府県労働局)から報告徴求や是正指導・勧告が行われます。これに従わない場合、企業名が公表される可能性があります。
(2)「安全配慮義務違反」による損害賠償リスク
労働契約法第5条により、事業主は労働者の生命・身体等の安全を確保する「安全配慮義務」を負っています。
悪質カスハラを放置した結果、従業員が精神疾患を発症したり休職・退職に追い込まれたりした場合、企業側の対応不備(単独対応の強要、無制限の過剰対応など)が問われ、損害賠償責任を負うリスクが生じます。
(3)人材流出と採用難(レピュテーションリスク)
カスハラが放置される職場環境は、現場の士気を低下させ離職を招きます。SNSや口コミサイトで「従業員を守ってくれない会社」として拡散された場合、採用活動に深刻な悪影響を及ぼします。
5. 2026年10月に向けて企業が進めるべき4ステップ
法律の施行に向けて、社内体制の構築には一定の準備期間が必要です。今から段階的に準備を進めていきましょう。
1.現状把握と基本方針の策定・公表:社内のリスク洗い出しとトップメッセージの発出。
- 過去のクレーム事例や従業員アンケートを実施し、自社で発生しやすいカスハラの傾向を把握する。
- 「カスタマーハラスメントに対する基本方針」を作成し、経営陣の意志として社内に周知するとともに、自社Webサイト等で外部へ公表する。
2.就業規則・社内規程の改定:根拠となる社内ルールの明確化。
- 就業規則(またはハラスメント防止規程)に、カスハラの定義、不利益取扱いの禁止、報告・相談の手続きなどを盛り込む。
- 「客観的な根拠なく土下座や過剰な謝罪を行ってはならない」「一定の基準を超えた場合は組織判断で対応を打ち切る」といった現場の行動基準を明確化する。
3.対応マニュアルの作成と相談窓口の設置:現場で機能する実効性の確保。
- 一人での対応を避け、上司や複数名で対応するエスカレーションフローを構築する。
- 電話録音装置や防犯カメラなどの証拠保全環境を整備する。
- 相談窓口を設置し、担当者が一次対応を行えるようマニュアルを作成する。
4.全社的な研修と運用の定着:知識のアップデートとロープレ。
- 役員・管理職・一般社員向けにカスハラ研修を実施し、「通常のクレーム」と「カスハラ」の判断軸を共有する。
- 警察や弁護士など外部機関との連携スキームを確認し、緊急時の通報訓練を行う。
まとめ:カスハラ対策は「従業員を守り、企業の持続的成長を支える投資」です
カスハラ対策の義務化は、単なる法的な手続きの義務づけではありません。理不尽なハラスメントから従業員の安全と心身の健康を守り、安心して働ける環境を整えることは、優秀な人材の定着や企業のブランド価値向上に直結します。
「自社の就業規則が法改正に対応できているか不安」
「悪質クレームへの対応マニュアルをどのように作成すればよいか分からない」
「社内研修の講師をお願いしたい」
このようなお悩みをお持ちの事業者様は、ぜひ大神人事労務事務所へご相談ください。貴社の業種や現場の状況に応じた実効性の高いカスハラ防止体制づくりを、社会保険労務士の立場からトータルでサポートいたします。
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